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2004年2月号 − No.538
目次
  「あなたがたを友と呼ぶ」  加藤信也
《主任司祭の窓》  キリスト教一致祈祷週間に寄せて  池尻廣幸   "クリスマスの報告"
"子供と家庭のクリスマスミサ"   "クリスマスミニセール"   年末大掃除を終えて
世界と心の平和を願い"新年祝賀会"   ヤングオールド懇親会の報告
第9回"ミサがわかるセミナー"報告   洗礼志願式−11月30日(日)−
11月の「新受洗者のためのフォローアップ講座」
3月の「新受洗者のためのフォローアップ講座」   "ルカの会"活動報告
 

「あなたがたを友と呼ぶ」

〔写真:日本26聖人殉教者の3人の少年像〕

 三年ほど前に、「17歳の犯罪」が話題になりました。ある男の子が年齢を聞かれ、「去年は16歳でした。来年18歳になります」と、17歳とは答えられないことを風刺した四コマ漫画があったことを覚えています。「若者たちが冷淡になれば、世界中が寒さに震える」、そんな言葉を残した人がありましたが、現代の日本社会を言い当てていると言っていいのかもしれません。
 しかし最近では、子供の犯罪もさることながら、親による幼児虐待が家庭の問題の中心を占めてしまった感さえあります。問題は子供だけではなく、成長し切れないまま親となってしまった大人の問題へと拡大したようです。
 根本にある問題として「日本人の幼児化」を指摘する人々もあります。幼児化は、大人が子供に適切な愛情と厳しさで接することをしなくなり、ただ甘やかしてご機嫌をとり、子供の嫌がることは一切させなかった結果である、とも言います。挨拶、食事の後片付け、宿題をきちんとすることや、テレビやゲームに釘付けになっていないで本を読むこと……様々な事柄が考えられます。
 最近聞かれなくなった言葉に「スパルタ教育」があります。その後には、「友だちのような関係」というものまで現れました。「世の中には様々な資格や免許があるが、最も難しい二つのためにはない。一つは結婚生活、もう一つは育児と教育」とも言われるとおりで、親子や師弟関係のあり方は大きく揺れてきました。

 聖書にも、「わたしはあなたがたを友と呼ぶ」(ヨハネ15・15)という言葉が見られますが、イエスは弟子たちを最初からそのように扱ったのではなく、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。……わたしの命じることを行なうならば」という条件つきで「友である」としています。 
 先日、帰国した知り合いが、日本の芸能界を評して、「子供全盛、若者全盛」と語っていました。どのような分野であれ、長年の努力と研究の積み重ねがより高い芸を花開かせるはずなのに、なぜこの国は若者たちに媚びるかのように彼らをもてはやすのだろう、この程度の芸ではどこの国でも通用しないだろうに……、というあたりが彼女の嘆きだったようです。
 そういえば、古い映画を観て考えさせられることの一つに、俳優の年齢があります。いったい何歳の頃の作品だろうと思いながら調べてみれば、彼らが意外に若いことに驚かされます。「大人びている」と言うべきなのでしょうか。これも、「日本人の幼児化」と無関係ではないのかもしれません。皆さんはどのようにお考えになるでしょう。

加藤信也  





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《主任司祭代行の窓》

キリスト教一致祈祷週間に寄せて

池尻廣幸  


 1月18日〜25日は、キリスト教一致祈祷週間でした。現在、キリスト教は多くの教派に分かれています。第二バチカン公会議の中でも当時の現状を憂い、「すべてのキリスト者の間の一致再建を促進することは、聖なる第二バチカン公会議の主な目的の一つである」と宣言し、エキュメニズムに関する教令を発布しました。それに基づき委員会が設置され、各教団と話し合いを行っています。まだ目に見える形では実現されていませんが、最近では、話し合いの成果が少しずつ出てきつつあります。それは、神学関係の委員会でのことですが、他の分野でもいろいろと試みが行われています。
 具体的には、この教会でも行われているように、金曜日の朝、プロテスタントの信徒の方と一緒に集まって祈りを行う「朝祷会」があります。時には、牧師さんが来られて、祈りの司会をしてくださることもあります。教義についての話し合いではなく、祈りという実践を通じ、顔と顔を合わせながらお互いを理解し合う、いわば草の根運動的な営みです。1月12日には、関東ブロックの「朝祷会」の有志が50人以上も集まり、一致に向けての具体的な事例の話なども聞かれました。

 また他宗教との合同の運動には、世界宗教者平和会議があります。これは、教皇様が各宗教の代表者に呼びかけて、アシジで、世界平和のための祈りを捧げたのが始まりで、今では、世界的な組織になっています。日本にもその支部があり、白柳枢機卿が理事長になっておられ、平和に関する話し合いや祈りの集いに、日本の仏教・神道の人々と一緒に参加しています。このような動きの背景には、違いを問題にする前に共通のものを認め、相手のもっている「良さ」を肯定する精神があると思います。この心をより一層深めていきましょう。
 これに関係して、最近、教会で他人の噂話や本人のいないところでの批判などで傷つき、教会に来られなくなった人の話を聞きます。遠くの一致と共に、教会内の一致を妨げるこのような現状にも注意を向け、キリストが願っている一致と平和をここに実現するように努力しましょう(ヨハネ福音17:9〜12,20〜23)。




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"クリスマスの報告"





 2003年度のクリスマスは、例年どおり23日の「子供と家庭のクリスマスミサ」からスタートしました。その名のとおり家庭的な温かいミサとなりました。24日のイヴは、前日に引き続き、すばらしい晴天と12月とは思えないほどの高温に恵まれ、計画どおり全ての予定を終えることができました。
 今年のキャンドルサービスは昨年より15分遅らせ16時45分から開始されました。開始前には「早く暗くならないかな」という声も聞かれましたが次第に夕闇につつまれ始め、多くの参列者のろうそくに灯がともり、ガラルダ神父司式・上智大学聖歌隊協力のもと厳かに行われました。
 その後、17時45分から24時まで6回のミサが聖堂いっぱいの参列者を迎えて行われました。中には初めて教会にいらしたと見受けられる方もおられ、興味と興奮そして感動の様子で参列していらっしゃいました。
 例年同様、数多くのヘルパーのご奉仕によって当日を迎えた訳ですが、特筆すべきは、教会学校リーダー(含むOB・OG)・青年会のメンバーを始めとする多くの若者の活躍です。次回以降も益々の活躍を願って止みません。
 一方入念な準備にもかかわらず、いくつかの改善点もあろうかと思います。それらを次回への糧として心に刻み、よりすばらしいクリスマスの典礼が行われるようにしたいと思います。実施にあたりご協力いただいた全ての皆様に、祈りを込め、心からの感謝を申し上げます。

(実行副委員長 渡瀬篤彦)









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"子供と家庭のクリスマスミサ"







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"クリスマスミニセール"

−11月30日 (日)−



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年末大掃除を終えて

 降誕祭が終わった12月26日(金)、教会で、93名の方々にご参加いただき、「猫はコタツで丸くなる」わけにはいかない年末の大掃除が行われました。
 冬の暖かい日に恵まれ、私達の信仰の家=教会を、皆様と共に気持ちよく清掃できたことを感謝いたします。
 外国の方や、教会に興味のある学生さんも、冬休みを利用して参加してくださいました。
 なにぶん大きな教会なので、クリーンアップグループ(教会の掃除のボランティア活動のグループ)だけでは、普段なかなか手の届かない所__ザビエル聖堂の用具入れや、ヨセフホールの倉庫、飲料自動販売機を利用した際に出るペットボトルなどの入ったゴミ箱をきれいにすることができました。

 また、主聖堂のイエズス様の御像の清掃も、制作者である中野先生のご協力を得て終了しました。
 皆様と共に、年に二回の大掃除に、健康に恵まれて参加できたこと、それによって、心が洗われるように気持ち良い時間をもつことができたことを、神様に感謝いたします。
 同じく、教会をきれいに維持する仕事を分かち合ってくださった皆様にも感謝!
 興味のある方は、クリーンアップグループに、ぜひ参加してください。
 そして、皆様、今年の大掃除もよろしくお願いいたします。


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世界と心の平和を願い"新年祝賀会"




 新しい年を迎える喜びを皆様とともに分かち合いお祝いする新年祝賀会が、1月11日(日)に催されました。
 10時半のミサ終了後、ヨセフホールには多くの方々が集まり、正午過ぎに開会。まず、池尻神父様からのお話。「戦争は心の中にあるエゴイズムから生まれるものですから、一人ひとりが心の平和に努めなければならないと思います。東京教区においては再編成が行われ、私たちは大島教会と協力し合っていくこととなりました。時間をかけてお互いに何ができるかを考えていきましょう」。
 次に渡瀬委員長からは、「家族、国家の平和を自分たちの手で小さなところから築いていこう」というメッセージをいただき、「エイエイオー」のかけ声とともに鏡割りが行われ、乾杯へと続きます。料理グループが用意してくださった心のこもったおいしい食事を楽しみつつ、笑顔が広がりました。
 続いて、リバス神父様の指揮のもと聖歌"ペスカドール・デ・オンブレム"を合唱しました。山本神父様は、今年友好50周年を迎えるドイツのケルンと東京教区の関係について、ご自身のイエズス会入会当時のお話を交えながらご説明くださいました。
 教会に集う私たちが、平和を望む気持ちをもって、手を取り合うことができますように! 

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ヤングオールド懇親会の報告

 昨年の11月27日(木)、イエズス会司祭イシドロ・リバス神父様より「13年間のうつ病からの癒しの体験」と題しお話を伺いました。
 「うつ病になったのは、1989年1月、その日の朝は起きられず、声も出ずふるえていました。ふだんはお祈りをすれば心が落ち着けましたが、今回は駄目でした。
 うつ病の特徴は食欲がない、人に会いたくない、人の顔を見たくない、死にたいと思うことです。うつ病の苦しみは、社会に対しての敗北感、何とも言えぬ孤独、誰にも理解してもらえない、自分でも話したいけど話せない。

 アメリカでの療養中も何回も死にたいと思いました。その建物は20階建てでしたが、10回位どこから飛び降りようかと考えました。死ぬ願望はうつ病の一つの必然的な病状です。そして、自殺するかしないか、正直言って神様は恐くなかった。神様は私の辛さを解ってくれるに違いないと私は信じました。
 自殺しなかった理由は、日本の多くの友達を悲しませてはいけない、裏切ってはいけない、と考えたからです。もし、私が自殺したら私が今まで話したことは全部嘘になる、と思ったからです。今生きているのは皆さんのお陰です。ありがとうございました」と話を結ばれました。

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第9回"ミサがわかるセミナー"報告

2003年4月13日 テーマ: 「主の死と復活を祝う」

<石井祥裕氏のお話>

 今日は聖週間の典礼についてお話します。
 「過越の聖なる三日間」とは聖木曜日、聖金曜日、聖土曜日、復活の主日を言います。この三日間の数え方は一日が日没から始まるユダヤの暦に由来しています。一日目は聖木曜日の晩に行われる最後の晩さんを記念する「主の晩さんの夕べのミサ」から始まり、聖金曜日の午後3時頃(キリストが十字架上で亡くなった時刻)にキリストの十字架上の死を記念して行われる「受難の祭儀」まで、二日目は聖金曜日の日没から聖土曜日の日没まで、この日はミサも共同で祝う祭儀も行われません。三日目は聖土曜日の日没から始まる復活の主日です。聖土曜日の夜に行われる復活徹夜祭は主の復活を祝う主日の典礼です。今の聖週間の典礼の骨格はすでに7〜8世紀には形成されていました。その後歴史の流れの中で本来の主の受難・復活を記念する意味が失われていました。それを第二バチカン公会議後に反省して、本来の意味を取り戻した(典礼刷新)のが今の聖週間の典礼です。 

聖週間の典礼に参加する時、1200〜1300年前から行われてきた典礼に参加するのだという意識を持つと見えてくるものも違ってくるのではないでしょうか。三日間の典礼は「主の晩さんの夕べのミサ」から始まりますが、このミサは聖体拝領の後はもうミサではなくなります。聖金曜日と聖土曜日にはミサを行いません。やがて復活の主日を迎えて復活徹夜祭の中でミサが復活します。復活の主日の「日中のミサ」で再び完全なミサが行われます。いわば「ミサの死と復活」によって「キリストの死と復活」を祝い記念していると言えます。どうしてこのような典礼が行われるかというと、ミサはいつもキリストの復活が前提にあってキリストの死と復活を祝う典礼だからです。ミサを行わないようにし、そして再びミサを行うということを通して主の死と復活を想い起こし記念できるようになっています。そのことを思いながら一年に一度の「過越の聖なる三日間の典礼」に参加されると良いと思います。

 

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洗礼志願式

−11月30日(日)−













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新受洗者のためのフォローアップ講座

11月22日(土)

テーマ: 「赦しの秘跡はなぜあるの?」

 「赦しの秘跡」は、新たにカトリック信者になった方々にとってはとても「謎めいた不思議なもの」と感じられるのではないでしょうか?
 今回の「新受洗者のためのフォローアップ講座」は、そんな恐れにも似た新受洗者の気持ちに応えるべく「できるだけ具体的にわかりやすく」をモットーに行われました。
 スタッフによって「赦しの秘跡」にあずかった時の失敗談や感想が述べられ、また迫真の演技(?)による「模擬告白」には今回担当のメンディサバル神父さまも本当の告白に対するようにお答えくださって、多くの出席者にとって大変参考になったようでした。告解部屋でのマナーや「悔い改めの祈り」の唱え方など、すべて「初めて受ける人の身になった」説明がなされました。
  いつも告解部屋で私たちを迎えてくださるメンディサバル神父様がお見えになると、「あの中にはあの方が入っておられたのか」とつぶやかれた方もありました。「赦しの秘跡が少し身近になった気がする」ともおっしゃりながら。

 神父さまは「赦しの秘跡」と洗礼との関係性、日々の歩みとしての霊的生活などにも触れた深いお話をしてくださいました。
 いつ赦しの秘跡に与ればいいのか?__必要なときに。年に一回は義務。最高でも一ヵ月に一回程度。告白と報告は違う。罪を具体的に言う必要はない。いけないと知りつつしてしまうのは罪。洗礼を受け「キリストに生きる」ためには戦いがある。神の掟を守るための力をいただくのがこの秘跡。赦しの秘跡の大事な恵みは「イエスが要求している望み」を知りそれを生きること。何が主に喜ばれるのか吟味する。主は人々の協力(罪の告白)を求めている。キリスト者の人生は旅人としての歩み…歩む人は疲れる…疲れたら食べたい(だから聖体をいただく)…歩んでいると汚れる(だから罪の告白をする)…すべてがつながっている。痛悔の心を持って口で罪を告白し、償いの祈りをし、新しい生活になること、罪の機会を避けること。
 「赦しの秘跡」について語っていただくことを通して、キリスト者としての歩みの模範をお教えいただくことができました。私たちが罪を告白することによって主から力をいただき、主の目にかなう生き方ができますように。

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新受洗者のためのフォローアップ講座

3月27日(土)

テーマ: 「オトナの信徒となるために−赦された罪人の集まりである教会−」

 洗礼を受けて教会生活をしばらく続けているといろいろな困難に直面します。教会が人の集まる場所である以上、とくに人間関係での悩みは避けられないようです。私たちは「教会なのに……」と不満をたびたび口にしますが、でも実はそういう時こそ、自分が成長するために神様から与えられている恵みの時かもしれません。

私たちがふだんいかに自分本位で生きているか、それにもかかわらず私たち自身は神からそして人からゆるされているかに気づき、イエスの心を自分の心として生きるために、そして信頼のうちに信仰生活を歩むことができるための一年の総まとめとして、みなさんと一緒に考えてみたいと思います。

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"ルカの会"活動報告

 12月28日(日)のルカの会では「セカンドオピニオン」についての意見交換を行いました。「セカンドオピニオン」とは、診断や治療方針について主治医以外の医師の意見を言います。それまで治療を受けていた主治医にレントゲンなどの検査データなどをもらって、別の医師にその診断・治療法の意見を求めていくシステムです。最近の医療機関には医療法の規制法が緩和されて、これを実施する医療機関が増えてきています。しかしここでは前医とのコミュニケーション不足がある事例が多いようです。

 医師患者間で十分な信頼関係が構築できていないことを反映しているかもしれません。度重なる医療ミスなどから来る医療不信が、このセカンドオピニオン外来に対する患者のニーズの高まりの一因となっています。セカンドオピニオンのシステムの拡充の前に、これを契機としてこれまでの医師患者関係のあり方を見つめ直し、深い相互理解が得られるように努力する必要があるのではないでしょうか。これまで以上に、相手の立場・人権を尊重した環境を臨床の現場で構築していく必要性があると強く考えさせられました。

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