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2009年3月号 − No.594
目次
  心の病−孤独から生まれるのです−  マヌエル・エルナンデス
《主任司祭の窓》  「生きた石として、霊に満たされて」  ドメニコ・ヴィタリ
「今年度の本部献金について」   社会司教委員会より1月13日に発表された
「死の文化」から「命の文化」へ   成人式ミサ   財務報告
「平和といのちーイグナチオ9条の会」   2008年度教会の現況
 

心の病−孤独から生まれるのです−

 世の中には自分のことを話す人はたくさんいますが、人の話を聴いてあげる耳をもっている人は少ないと思います。この世の中に理由のないことは一つもありません。その理由を考えないで物事を判断するのは間違いの元です。心の病の人々に一番大切なのはその人の心を開いてあげることです。静かに黙って聴いてあげることが大切です。

 人は、自分が生まれた環境で受けた影響をなかなか取り消すことができません。心の病の人たちは物事をマイナスにばかり考えるので、いつも不安でなかなか他人を信用することができないのです。

 ある日きれいな女性が教会の事務室に来て、「天におられる私たちの父よ……」と大きな声で唱えた後、もし神様が男なら私は神様はいらないと言いました。理由は自分の父親がわがままで自分勝手で家族の事を考えない。子供たちを愛さない。だから私は男が大嫌い。「どうしてイエス様は神様を父と言われるのですか。本当の親であるなら、自分を忘れても家族を守るでしょう」と。
 安心してください。神様は男でも女でもない『愛』なのです。小さいときに受けた傷はなかなか治りません。大人になっても生まれなければよかったと考えたり、自分の子供にも愛情をかけられない。どうぞ過去を忘れて子供に十分な愛情を注いで育ててください。

 人は定年を迎えたときにうつ病になることが多いと聞きます。信仰に恵まれていても、そんな時が来るのです。高齢者40人に話を頼まれたことがありました。
 私は黒板に「ノ」と書いて、「人は一人でいることはできません。自分を中心にすれば周りの人が見えなくなります。他人を幸せにして初めて自分が幸せになるということも考えてください」と話しました。
 内向的な人は心が中に向いていますが、それを外に向けて将来へと心を開いていくようにすることです。

 日本の社会はますます厳しくなっています。家族のことを考える時間も心の余裕もなくなります。そんな時、心の病が始まります。
 教会は心の病の人の憩う場所です。ホームレスの人、薬物依存者と家族の人たちも集まります。

 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな時にも感謝しなさい」。

(一テサロニケ5・16〜18)  

 「愛は恐れない。完全な愛は恐れを閉め出します」。

(一ヨハネ4・18)  


マヌエル・エルナンデス  

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《主任司祭の窓》

「生きた石として、霊に満たされて」

ドメニコ・ヴィタリ S.J.  


 来年度、私たちの教会は献堂10周年を祝います。それにあたって、いろいろな話し合いが行われ、計画も立てられています。
 しかし、そのような行事だけで済ませてしまうにはもったいない気がします。この機会に、私たち共同体が少しでも成長することができるきっかけになればと考え、この文章のタイトルとアシジの聖フランシスコの神秘体験を思い出しました。

 フランシスコはサン・ダミアーノの教会の中で熱心に祈りながら静かに優しく見つめていた十字架から声を聞きました。
 「フランチェスコ、私の家が崩れかけているのが見えないのか。さあ直してくれ」。
 それは象徴的な意味で、実際は、霊的は建物としての教会を救うように十字架上のイエズスは彼に頼んだのに、フランシスコは文字どおり受けとり、さっそく建物そのものを直そうとするのです。

 私たちも時々同じような間違いをしています。見えないものが一番大切なのに、見えるものを最も大事にしてしまいます。確かに、多くの人の苦労と犠牲によって建てられた教会ももちろん大事ですが、忘れがちなのは、そこに主によって集められた共同体が一緒にみ言葉を聴き、赦しを得て、イエズスの体をいただくことで教会になっていくということです。教会の建物は、そういったことの“しるし”であると考えることです。

 さらに、前のミラノの大司教マルティーニ枢機卿の書いた次のような記事を思い出しました。

 「私は今まで70ぐらいの教会の献堂をしました。建築的にいえばよい教会もわるい教会もあります。しかしながら、よい共同体によってうまく生かされて、わるい教会がよい教会になっていき、せっかくのよい教会が生かされなくてわるい教会になっていくこともあるのです」。

 

サン・ダミアーノの十字架象


  ペトロの第一の手紙2章に「教会共同体」は親石であるキリストの上に建てられた建物に例えられています。そこでイタリアの教会を思い出します。それらをよく見ると、しっかりした大きな石、小さな石、一見どうでもいい石などが積まれています。しかし、みなそれぞれが大切な役割を持っています。どれもしっかりと全体の建物の一つになっているからです。
 私たちもみんな同じ才能をもっているわけでなく、同じ働きはできませんが、イエズスに結びついていれば、小さくても、たいした仕事ができなくても、大きな役割を果たすことができるのです。
 この献堂10周年の年に、イエズスの上に建てられた建物の中で自分の役割を再認識してそれを果たすように努めましょう。

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「今年度の本部献金について」

(財務委員長・加藤信也神父)  


 聖イグナチオ教会が皆様からの献金によって活動しているのと同じように、東京教区も各小教区から納入される本部献金と呼ばれる献金によって支えられています。

 今年度の聖イグナチオ教会の本部献金について、以下のとおりご報告いたします。

 


 今年度も従来どおり二回に分け、一回目は11,637,456円で昨年6月に、二回目は11,637,455円で昨年10月に納入いたしました。また、東京教区が望む金額とこれら二回の納入額との差額をうめるため、10,844,248円を昨年末に追加納入いたしました。
 以上のように、2008年度の本部献金は合計で34,119,159円になりましたことをご報告いたします。


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社会司教委員会より1月13日に発表された

「いのちを守るための緊急アピール」を受けて

 2008年後半、アメリカのサブプライムローン問題に端を発した金融危機が世界的な経済危機に発展し、日本でも100年に一度といわれる景気後退の日々状況が悪化する中で失業者も老若を問わず増え続け、日本各地の野宿者及び自殺者の数は増加の一途をたどり、この事態は2009年に入りさらに深刻化している。こうした緊急事態にあたり日本カトリック司教協議会社会司教委員会は、今こそ日本のカトリック教会の信徒がその教区、修道会、信徒の団体で各々何ができるかを考えかつ即実行することが肝要と熱いメッセージで私達に呼びかけている。また去る12月司教団から発表された世界人権宣言発布60周年においての人権メッセージでも、今日の危機的局面を打開するためには貧しく弱い立場にある人々の側に立って根気よく打開策を講ずることが必要と説いている。その中で指摘されたように私共一般信徒の多くはこれまで路上生活者や失業者に対して差別的偏見を持っていたことも事実といえるし、その実態を同情はしてもとかく見て見ぬふりということも多かったと思う。しかし今日の危機的状況はもうこうした逡巡は許されず、私共一人ひとりが弱者の側に立ってできることを今すぐ始めるべき時にきている。いうまでもなく市民の最低限の生活を守る責任は行政機関にあり、そこに強く働きかける必要があるのは当然ながら、その対応を待ち切れず各地で様々な市民団体が色々な取り組みを始めている。
 麹町教会でもすでにヨキエル神父、バンバン神父と共に信徒有志が路上生活者に食糧の提供やシャワー利用サービス等を行っている。また近隣の真生会館学習センター(信濃町)においては少しでも自殺を防ぐべく、心を病む人々を支える人のための学びのコースを開講している。

新宿のNPO「愛と希望」(カトリック社会問題研究所及びJOC)では、早くから格差社会の是正や地域社会の諸問題等、このアピールで指摘された課題と取り組んできており、実際に働く人々の中にとび込んで、その悩みの解決にも努めている。他にもカトリック新聞で報じられたように、あちこちで自殺に関するNPOの集いや8教区の司教らが、釜ケ崎等の厳しい労働者の現場で研修を行うなど色々な試みがなされている。
 こうした一つ一つの活動はそれぞれが素晴らしいものでありより多くの人々の参画が望まれるが、これはいわばの活動でありこれを大きな流れとして社会を変えていくには、それぞれの小教区に留まらず麹町教会でいえば、これを中央・千代田宣教協力体や近隣の同様の活動をしている諸団体と協力し、それぞれ持っている情報を交換、提供するネットワークを形成しお互いに手をたずさえて行けば、あちこちのの活動がいわゆるの活動となり、より大きな動きとなって社会に役に立つのではないだろうか。
 司教団はそのアピールの最後に全てのカトリック信者が、 祈り献金活動など、どのような形であれ命を守るための働きに参加してくれるよう呼びかけている。
 2009年元旦「世界平和の日」のメッセージの中で教皇ベネディクト十六世はその結びの言葉として,“可能なあらゆる実践的手段を用いて貧しい人を助けて下さい。貧困と闘うことが平和を築く”と述べておられる。
 前月号の教会報の冒頭にガラルダ神父が書かれたように、このローマ教皇のメッセージの実現こそがこのたびの司教団のアピールに答えることであり、私共の目指すべきことであろう。

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「死の文化」から「命の文化」へ

秋葉悦子 (教皇庁生命アカデミー委員  

富山大学教授)  


 自殺者が毎年3万人を超え、死刑に処されたいという衝撃的な理由による無差別殺人が発生し、中絶は公式発表だけで年間30万、少子化問題にも有効な対応策が見出せずにいます。命の大切さや命の教育の必要性を訴える声が様々な場所で聞かれますが、問題解決の兆しはなかなか見えてきません。私は刑法学専攻の立場から、生命の保護に関する法律を研究してきましたが、日本の法律・裁判例は、一定の条件の下で、積極的安楽死(終末期の患者さんの苦痛を取り除くため、本人の要求に従って直接生命を絶つ行為)、女性の意思に基づく22週までの中絶、医学研究のための人の胚の作成と利用を「正当行為」として認めています。これは、特に70年代以降米国で優勢になった個人主義的自由主義思想の影響を受けて、生命の価値よりも個人の自己決定権、死ぬ権利、プライバシー権、研究の自由を優先した結果です。
 しかしヨハネ・パウロ2世は回勅『命の福音』(1995年)の中で、次のように言います。生命に対する犯罪を個人の自由の正当な表現と認め、その自由を真正な固有の権利として保護する風潮は、たとえ一見進歩的に見え、世論が支持し、国家の承認が与えられているとしても、生命、特に誕生と死という存在の最も象徴的な瞬間において生きる権利を否定し、踏みにじる「死の文化」であると。もちろんこれは、苦境に追いつめられて苦渋の選択をした人々を処罰すべきだという趣旨ではありませんが、決して正しい行為ではない、とヨハネ・パウロ2世は言いたいのです。

 欧州大陸諸国にも個人主義的自由主義思想は広まりましたが、80年代にはその行き過ぎを警戒する動きが現れ、「人間の命の価値と不可侵性を明確に再確認する」「命の文化」の方向に舵が切られました。積極的安楽死を合法化する代わりに、患者さんが最後まで生を全うすることを手助けする方法が模索され、緩和ケアが発達しました。中絶権を認める代わりに、中絶を思いとどまることができるよう、葛藤に苦しむ女性に手が差し伸べられました。相談窓口の設置や福祉制度の充実が図られ、少子化にも歯止めがかかりました。再生医療の発展が見込まれるES細胞を作成する目的で、生存を始めたばかりの人の胚の破壊と実験利用を合法化する代わりに、人の胚を犠牲にせずに同様の成果を上げる道が模索されました。成人の皮膚細胞からES細胞と同じ能力を持つiPS細胞の作成に成功した山中伸弥教授の研究も、こうしてもたらされました。
 「死の文化」に抗して「命の文化」を構築するために、『命の福音』は、特に弱い立場にある人々の生命を尊重し、保護し、愛し、奉仕するよう、私たち一人ひとりに呼びかけています。私も法律学者の端くれとして、自己主張できる強い個人の権利だけを尊重する法律ではなく、弱い立場の人々、特に出生前の人々、死に瀕している人々の生きる権利を保障する法律がもたらされるよう努力を続けていきたいと思っています。そして自分の命の価値を見出そうとしている若い学生さんたちに、命の意義は自分の中に閉じこもることなくそれを他者のため、特に自分より弱い人々のために捧げることによってのみ見出されることを、すなわち命の使い方を、人間の使命を、伝え続けていきたいと思っています。

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成人式ミサ

―2009年1月11日(日)―

1月11日(日)に成人式ミサが執り行われました。これからの教会を担う若者たちへの期待を込めて、参加者の中からお二人の方に抱負をお寄せいただきました。

世界の人々の幸福も願い

古山真一  

 まず、ふだんお世話になっているイグナチオ教会で、信者の皆様に成人のお祝いをしていただき嬉しく思います。また、このような式を盛大に設けていただき、青年会をはじめイグナチオ教会の皆様には感謝いたします。
 さて、現在日本は未曾有の不況下にあり、我々新成人をとりまく環境は日に日に悪化しております。そのような先の見えない状況の中で、私たちはとらえようのない不安を感じながら社会へと羽ばたいていきます。しかし、神父様のお説教の中にもありましたが、人生において困難はつきものです。私たちはそのような苦しい状況も乗り越えられるように、神様を忘れずに信仰を大切にしていきます。
 また、世界には困っている人がたくさんいます。自分や周りの人々の幸福ばかりでなく、他の人々の幸福をも願い行動していける人間になりたいと、成人式ミサを受けて感じました。神様、私たちのことをこれからもお見守りください。

神様の平和の道具に

須藤有香  

 1月11日(日)に主聖堂で成人式のミサが行われました。
 当日は大勢の新成人が集まり、華やいだ雰囲気の中で再会を楽しみました。
 ミサではキャンドルのあたたかい光の中で神父様から祝福を受け、私たち新成人は今までに受けた多くの愛に感謝し、新たな一歩を踏み出す勇気をいただきました。
 奉納では新成人が祈りと決意を書いたカードが奉納されました。
 そして私たちがこれから様々なことに関心を持ち、平和を願い、愛をもって神様の平和の道具となれるように祈りました。
 私たちが成人式での祈りと決意を胸にこれからの人生を実り多きものにできますように。
 今回の成人式ミサの準備をしてくださった方々、祝福してくださった方々に心から感謝いたします。

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財務報告

カトリック児童福祉の日献金

● 1月25日(日)のミサ中献金¥2,600,000はカトリック児童福祉献金として、東京大司教区に送金いたしました。

 皆様の寛大なご協力に心より感謝いたします。


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「平和といのちーイグナチオ9条の会」

趣意書より

 前教皇ヨハネ・パウロ二世は、1981年の訪問の際に、広島で次のような『平和アピール』を宣言しました。
 「戦争は人間のしわざです。戦争は死です。…過去をふり返ることは、将来に対する責任を負うことです。…広島を考えることは、核戦争を拒否することです。広島を考えることは、平和に対して責任を取ることです。…イデオロギー、国家目的の差や、求めるものの食い違いは、戦争や暴力行為のほかの手段をもって解決されねばなりません。人類は、紛争や対立を平和的手段で解決するにふさわしい存在です。…今、この時点で、紛争解決の手段としての戦争は許されるべきでないという固い決意をしようではありませんか。…自ら平和を学び、平和の教育をしようではありませんか」。

 そして聖書では、キリスト教の憲法とも言われる「真福八端」において、「平和を実現する人は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ福音書5・9)と言われる通り、「平和」をつくりだすことはイエスのメッセージと生き方そのものです。ところが今日の世界には、相変わらず核兵器製造や、政治と経済の不均衡によるテロや紛争、さまざまな人権の抑圧が絶えません。そうした平和を脅かすグローバルな構造は、経済や安全、教育など、わたしたちの身近な生活をも圧迫しています。ヨハネ・パウロ二世は、このようなわたしたちの平和を抑えつける「死の文明」に対して“No”を、「いのち」に対して“Yes”を言うことを訴えられました。イエス・キリストの「平和」は、「死と恐れ」に支配される神なき世界の只中に「神は愛である。…愛には恐れがない」(ヨハネの第一の手紙4・16〜18)という、恵みとゆるしといのちの場を開きます。

 日本のカトリック教会も、近年、日本が過去にかかわった戦争への反省の上で、アジアと世界中の人々が平和に共存していくための非戦の誓いと願いを表明しています。そして最近の国政と社会の動きは、日本国憲法の「戦争の放棄と戦力の不保持」(9条)をはじめ、「生命・自由および幸福追求の権利」(13条)、「思想・良心・信教の自由」(19・20条)、「健康で文化的な生活を営む権利」(25条)など憲法の原則とイエスの福音に従う生き方とのかかわりについて、その意味を改めて深く考えることをわたしたちにうながしています。

 そこでわたしたちは、聖イグナチオ教会において、キリスト者であるなしを問わず、以下の趣旨に賛同する人々の会を設立したいと思います。

◆ わたしたちは、平和の道だけが、人類のいのちの尊重、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道であると確信するので、戦争のない愛と真理に基づく平和を実現するために、政治的な立場を超えて、互いに学び合い、協力し合います。
◆ 人類の平和な将来について考え、紛争解決の手段としての戦争を許さず、軍備縮小と核兵器の破棄を呼びかけます。
◆ 国境を超えて、窮乏・貧困・不正義・人権侵害・暴力の支配に苦しむ兄弟姉妹たちを思いやり、そうした人々とつながりながら、いつも平和の実現のために、小さなことでも、わたしたちにできることをします。

 『長崎の鐘』の永井隆博士は、次のような言葉を遺しています。

 「この鐘も戦の間は鳴らすのを止められていた。戦が終わるとまた鳴り出した。今も鳴っている。平和であるから鳴っている。これは平和の鐘だ」(『花咲く丘』より)
 「お互いに許しあおう…、お互いに不完全な人間だから。お互いに愛し合おう…、お互いにさみしい人間だから。けんかにせよ、闘争にせよ、戦争にせよ、あとに残るのは後悔だけだ」(『平和塔』より)。
 「いとし子よ。敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起こらないのだよ」(『いとし子よ』)。

 わたしたちもこの祈りに心を合わせ、全国数千の「9条の会」にも窓を開きながら



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2008年度教会の現況(麹町小教区)

A:信徒総数
  総 数 実 数
 
 前年度 4,476 9,082 13,558 4,337 8,815 13,152
 本年度 4,627 9,339 13,966 4,396 8,873 13,269
B:秘跡
 1:洗礼                                        ※満7歳以下
 
 ※幼児 59 63 122
 成人 94 156 250
 計 153 219 372

 2:堅信
86 141 227

 3:婚姻
 カトリック信徒同士 15組
 信徒と他キリスト教 3組
 信徒と他宗教 89組
 他宗教者同士 22組
C.信徒の移動
 1:転入
 
 教区内からの転入 35 77 112
 教区外からの転入 42 78 120
 計 77 155 232

 2:転出
 
 教区内への転出 28 45 73
 教区外への転出 18 33 51
 計 46 78 124

 3:死亡
33 39 72

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